再就職の話
4月に昨年12月から務めた会社を退職。5月から特別支援学校の介助員として働き始めました。
経緯としてはハローワークで見つけて3月に面接を受け、在職中の職場を退職したらで良いので採用しますとの良いお返事をいただき、4月末で無事に円満退職できたので5月1日から勤務することになったわけです。
特別支援学校とは?
特別支援学校は、視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者、または病弱者(身体虚弱者を含む)に対し、幼稚園、小学校、中学校または高等学校に準ずる教育を施すとともに、障害による学習上または生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることを目的としている(学校教育法第72条)。
私が勤務することになった学校は小学校中学校が併設された市立の学校です。
特別支援学校での仕事
私たち介護員の一番の仕事は朝のバスに添乗して児童生徒を迎えに行くことです。
ただ添乗するのではなく、障害の特性で騒いだり独り言を言ったりする児童生徒を車内では静かにさせ、安全に学校まで届けることが重要です。もちろん、乗車予定の児童生徒を一人残らず安全に乗車させることも重要ですが、車内での安全確保も同じように重要で、思った以上に大変なミッションです。
今日までに4回乗車しましたが、突然暴れだす小学生のMさん、大きな声で独り言を言う小学生のD君など、時には強い口調で静止しなければならないこともありました。
で、昨日乗車時にはMさんが突然暴れだし介助員二人掛かりで抑える場面がありました。その時の衝撃で左肋骨付近を痛め早速に通院する羽目になってしまいました。
児童生徒に真摯に向き合うということ
バスを降りた後は決められた教室で主に重度の生徒の介助に当たります。
私は中学部の配属で3年生と2年生の教室に入りました。
学習上または生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることを目的としているので、こちらがやってあげてしまえば簡単なことも、時間をかけてやらせないといけません。
何ができて何ができなくて何ができるように現在取り組んでいるのか、担任の先生に聞きながらかかわる毎日です。私たち介護員はあくまでも介助者であり教員ではないので出しゃばらないように気を付けています。だんだん生徒のこともわかるようになり関係もできてきて、一緒に授業を受けることや給食を食べることなど楽しく思っています。
前の職場には出勤するのが嫌で朝から、いや、前の日から憂鬱でしたが、今は全くそんなことはありません。私にはこちらの水が合ったのだと思います。
原点に帰る
私は高校時代サリドマイドの兄を持つ友人がいました。肘がなく肩から短い腕が伸びていました。お母さんの厳しい教育もあって大変な努力家でその短い両手でなんでもこなし学校では常に成績は上位。優秀で将来は学者を目指したいたようです。ところが、突然不慮の事故でお亡くなりになってしまいました。
当時サリドマイド児として成長された方のドキュメント映画などが放映され、彼の死もマスコミなどで取り上げられました。手記が出版され私は友人を通してしか知らなかったお兄さんの小さいころから努力を重ねてきたことや周りの偏見や冷たい言葉や対応に心を痛めてきたことなどを知りました。障害児を取り巻く教育の環境について考えさせられ、将来は教師になって障害がある子もない子も一緒に学び偏見や差別を生まないような教育がしたいと思いました。
養護学校の教員を目指して入った大学で自閉症やダウン症の障害児を遊びに連れていくサークルに入りました。そのサークルでは卒業まで、会に所属する子供たちと週末都内の公園や施設へ遊びに行きました。障害を持つ子供たちが少しでも社会で生きていけるように、私たちなりにいろいろと考え真剣に取り組んだ記憶があります。
教員採用試験に落ちたために教員にはならず、福祉施設で定年まで働きました。当時はまだ県の外郭団体で理事が県知事等団体で福祉施設の中では労働環境の良いところでした。在職した30余年の間に指定管理施設となりましたが子供を抱えて働くには条件の良い職場でした。
ハローワークで特別支援学校の介助員の求人を見たときにはもしかしたら若いころの夢に一歩近づけるような気がしました。30余年もたって本当にやりたかった仕事に近づけるなんて夢のようです。
定年退職をしてやり残したことを何でも全部やってみようと思っていました。
今回特別支援学校の介助員の仕事に就くことができ、自分の原点に帰ることができたような気がしています。



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